【事案の概要】

このような事案について考えて見ましょう。
60代の男性Aさんから当事務所にご相談がありました。半年前に父親(享年85)が亡くなり、遺品整理の中から「全財産を長男(Aさんの兄)に相続させる」とする公正証書遺言が発見されたとのこと。父親の遺産は自宅不動産(時価約8,000万円)と預貯金約1,500万円。兄からは「遺言通り進める」と一方的に告げられ、Aさんと妹の取り分はゼロという内容でした。Aさんと妹は到底納得できないと話されています。

遺言と遺留分をめぐるこの種の相談は、相続案件の中でも多く寄せられる類型です。本コラムでは本件を題材に、遺留分侵害額請求の実務上のポイントを整理します。

【遺留分侵害額請求とは】

遺留分とは、被相続人の財産のうち、一定の法定相続人に最低限保障される取り分のことをいいます。被相続人がどのような遺言を残しても、また生前にどれだけ贈与を行っても、配偶者・子・直系尊属には法律上保護される取り分があり、これを侵害された相続人は侵害額に相当する金銭の支払を請求することができます。なお、兄弟姉妹には遺留分は認められていません。

ここで重要なのは、2019年7月施行の改正民法により、従来の「遺留分減殺請求」が「遺留分侵害額請求」に改められたという点です。改正前は不動産そのものに対する物権的な権利が生じ、相続人間で複雑な共有関係が発生して紛争が長期化する傾向がありました。現行法では純然たる金銭債権として整理され、紛争の早期解決と権利関係の単純化が図られています。

本件のAさんの場合、子としての法定相続分(2分の1)の半分、すなわち遺産全体の8分の1が遺留分となり、概算で約1,200万円程度を侵害されている計算になります。妹についても同様です。

【不動産評価という最大の争点】

本件のような事案で激しく争われるのは、不動産の評価額です。

不動産の評価方法には、路線価、固定資産税評価額、相続税評価額、不動産鑑定士による鑑定評価、不動産業者の査定など複数の手法があり、いずれを採用するかで評価額には数千万円単位の差が生じることも珍しくありません。請求する側はより高く評価したい、請求される側はより低く評価したい——この典型的な利害対立が、交渉を長期化させる最大の要因です。

相続案件の経験から言えば、本質的な問題は単純な評価額の高低ではなく、「どの基準時の、どの評価方法を用いるか」の選択にあると感じます。遺留分侵害額算定における不動産の評価基準時は「相続開始時」とされていますが、近年の不動産価格の上昇局面では、相続開始時と請求時で価格が大きく動くこともあります。鑑定費用をかけてでも公正な評価を確定させるか、互いに歩み寄って和解的解決を図るかは、事案ごとに戦略的判断が必要になります。

また、生前贈与の取扱いにも注意が必要です。改正民法では、相続人に対する生前贈与のうち遺留分の基礎財産に算入されるのは原則として相続開始前10年間のものに限られ、この点は改正前との大きな違いとして実務上必ず確認すべきポイントです。

【期間制限という落とし穴】

遺留分侵害額請求でしばしば見られる実務上の事故は、消滅時効の見落としです。

遺留分侵害額請求権は、相続の開始および遺留分を侵害する贈与・遺贈があったことを知った時から1年で時効消滅します。さらに、相続開始時から10年を経過したときは、知らなかったとしても請求できなくなります。

「兄と感情的に対立したくないので話し合いを続けているうちに1年が経過してしまった」「遺言の存在は知っていたが、内容を精査しないまま時間が過ぎてしまった」というケースは、決して珍しくありません。実務上は、まず内容証明郵便により遺留分侵害額請求の意思表示を確実に行い、時効の進行を止めたうえで、腰を据えて交渉や調停に臨むことが鉄則です。

【おわりに】

遺留分侵害額請求は、近しい親族間の紛争であるがゆえに、感情的なもつれが冷静な法的判断を曇らせやすい類型です。「遺言があるのだから諦めるしかない」と思い込んで権利行使の機会を逸してしまうケースもあれば、逆に「親の財産は等分に分けるべきだ」と法的根拠を超えた期待を抱いて交渉が決裂するケースもあります。

法的権利の範囲とその限界を冷静に見極め、適切な時点で適切な手段を講じることが、結果として家族関係への影響を最小限に抑える解決へとつながると、実務を通じて強く感じています。相続でお悩みの方は、迷われる前に弁護士へご相談いただくことをお勧めいたします。